さゆりの父と、もう一人の母

さゆりの父
父は教員だった。(教員生活の最後は教頭として、定年まで勤め上げた。)
父は『 温厚 』そのものだった。
決して怒らず、争わず、いつも笑っていた・・・・・。
私たち三姉妹は、父の大きな愛に包まれながら育った。幸せだった。
母も父に愛され、幸せを感じていたに違いない。もちろん、父自身も。
しかし、母は50歳の時に病気を患い、1年半もの長い闘病の末、亡くなった。
父の笑顔は消え、生きる気力を失った。
父は、一緒に暮らす私に、毎日言った。
「自分はこれから、どうやって生きていけばいいのだ?」
私は、そんな父の姿を見ていられなかった。そして、再婚を勧めたのだ。
父は51歳で、再婚した。
相手は50歳、初婚。生まれは九州。関東で長く働いていた人だった。
それから5年間、私と父ともう一人の母の三人で暮らしたのだった。
私が結婚して家を出てから、しばらくの間は、父と継母は二人穏やかに暮らしていた。
やがて足腰がすっかり弱くなった父が、近くの介護施設に入所した。
私は継母を連れて、その施設を訪問する日々が続いた。
父は80歳を過ぎてから持病が悪化し、ベッドから起き上がれない状態になり、
ついに、2014年4月10日、力尽きた・・・・。85歳だった。
父さんへ
さゆりの、もう一人の母
私は、もう一人の母(継母)を、しばらくの間「お母さん」と呼ぶことができなかった。
出会ってから30年以上経って、やっと普通に呼べるようになった。
父が85歳で逝ってしまってから、継母は数年間一人暮らしをしていたが、
その後、生まれ故郷の福岡県志賀島へ帰っていった。
2023年8月、継母に会いに志賀島へ行った。
その時は、思い出話に花を咲かせ元気そうにしていたのに、
その後、体調が悪化し、10月には寝たきりになった。
そして、10月27日、静かに息をひきとった・・・・・。92歳だった。
お母さんへ