さゆりの高校時代

またまた、落ち込むさゆり

 K高の音楽部は、県大会では常に最優秀賞を獲得するほどの合唱の名門であった。しかし、K町出身で、バスケをやっていた彼女が、そんなこと知っているはずもなかった。
音楽部に入部して驚いた。ほとんどの人が合唱経験者で、すごい声を出していたから・・・・。あぁ、ついてけない・・・。入部して間もないのに、彼女はひどく落ち込んでいた。

きびしい練習

 練習は運動部並みだった。体育着に着替えて、ランニング、柔軟、腹筋・・・。そして、恐怖のボイストレーニング。
 ボイストレーナーは、プロの声楽家だった。何度も何度もやり直しをさせられた。コンクール近くになると、帰りは、午後9:30発の最終列車になった。
K駅に着いて10:30。家に着いて遅い晩ごはんを食べると、11時を回ってしまう。
 こんなはずだっけ?ただ、合唱を楽しみたいだけなのに・・・・。

朝練習

毎日8:10から、朝練習があった。K駅から2番の列車で行くと、学校に8:40に着き、授業には間に合うが朝練習には間に合わない。
そこで彼女は考えた。
朝1番の列車で通うことにしよう!
朝1番の列車は、K駅発5:30。これに乗るには、5時前に起きなければならない。
こうして彼女は、朝練習に参加するために、夏も冬も3年間、1番の列車で通ったのである。
 最終列車で帰り、翌朝、始発列車に乗る。こんなことくらい、中学校時代バスケをやり通した彼女にとって、平気なことであった。

努力が実った!?

音楽部は、コンクールの他に、毎年文化祭で「オペレッタ」(オペラと演劇を組み合わせたもの)を上演していた。
1年の時は、バックコーラスで、大道具係りであった。
2年の時は、目立たないけど役をもらった。  『桶の精』
3年の時・・主役に準ずる役をもらった。   『シンデレラの継母』
 せりふもたくさんあった。独唱も多かった。練習はきつかった。でも、やりがいがあった。
 県民会館のステージでスポットライトを浴びた。最高だった。涙があふれた。この時から、さゆりはスポットライトが大好きになった。
 K先生、お世話になりました。
シンデレラ第1幕より

合唱のことではないけれど、こんなこともありました。<さゆりのホームプロジェクト>

母へ

 母さん、いつも4時に起きて、私のために朝ごはんを作ってくれて、ありがとう。
 前日の農作業で疲れているだろうに、朝早く起きて、私を送り出してくれた母さん。
 感謝しています。