さゆりの悩み

 平成6年4月、S中学校に赴任して間もなく、校長室に呼ばれた。
 ある新聞社から原稿依頼がきているので、引き受けてくれないか、という内容であった。
 毎週月曜日の夕刊の教育欄「フリータイム」の原稿依頼であった。
 迷った末、「難しい教育論ではなく、日頃思っていることを簡単に書いてよいか」を確認し、引き受けることにした。
 以下の文章は、平成6年5月9日(月)の某新聞に掲載されたものである。


私は今、学校へ向かっている。

 私は今、学校へ向かっている。4月1日に赴任したばかりである。ハンドルを握りながら、明日、明後日のことを考えていた。

 明日は、3歳の息子の保育園の参観日。朝2時間だけ年次休暇をもらって行ってこよう。
 明後日は、小学校2年生の娘のPTA。午後から、娘の勉強ぶりだけ見てまた仕事に戻ろう。
 いや待てよ。その後の学級懇談にも出席した方がいいかな。  

てんびん

 思えば子供が生まれてから、私はいつも悩んでいた。子供と仕事、どちらを優先すべきか。てんびんにかけ、比べていた。どちらが重いか。

 研究会と娘の親子遠足。これは完全に研究会の方が重い。
 娘にはかわいそうだが、おばあちゃんと行くことを納得してもらい、当日は大好きなサンドイッチを作って送り出す。
 テスト前の3年生の授業と息子の風邪。これはちょっと判定が難しい。てんびんがぐらぐら揺れている。
 悩んだ末、授業を半分やってから、息子を病院に連れていくことにする。

 ああ、これじゃあ、どちらも中途半端だ。母にも教師にもなりきれない。

娘の入院と文化祭

 文化祭を間近に控えた昨年秋のある日、娘が高熱を出して入院した。肺炎だった。
 私は生徒会担当で舞台発表の企画運営を任されており、合唱コンクールの指導もしなければならなかったので、休むわけにいかなかった。
 夜は病院に泊まり、朝、まだ熱が下がらず苦しそうにしている娘を義母に頼んで、時間通りに出勤した。なんて薄情な母だろう。
 しかし、「お母さん、そばにいて」と娘に泣かれた日には、まいってしまった。
 ついに生徒達にこう言った。「これから病院へ行かせてもらう。私は教師であると同時に、2人の子供の母でもある。
 時には母としての役目もしっかり果たさなければならない。あなた方のお母さんも、こんな気持ちで頑張ってきたに違いない。」

生徒の応援

 娘は、文化祭の前日に退院した。そのことを学活の時間に話したら、思いがけず大きな拍手がわき起こった。
 娘の退院を、まるで自分のことのように喜んでくれた。生徒達は母である私を応援してくれていたのである。
 文化祭は、合唱では優秀賞、新聞では金賞、さらに生徒会執行部からの予期せぬ花束というおまけ付きで、感動の渦の中、幕を閉じた。

母として教師として

 あれこれ考えているうちに校舎が見えてきた。今度の学校は、全校で11人という小さな学校である。
 子供と仕事、両立できないと悩む日もあるが、母の立場で接すると生徒の本音が聞けるときもある。
 母親の気持ちを伝えることもできる。
 私は2人の子供の母として、そして、この純朴な11人の生徒の教師として、また母としてともに歩み続けたい。

 以上が新聞に掲載された文である。

 母として教師として悩む日々であるが、
 母がそうだったように、働く主婦として輝いていたい。
 母がそうだったように、子ども達の支えになりたい。           できるだろうか。