さゆりのエッセイ A

ある日、秋田魁新報社から原稿依頼がきました。
毎週月曜日の夕刊の教育欄「フリータイム」の原稿依頼でした。
難しい教育論は書けないので、母として教師として日頃悩んでいることを書くことにしました。
『 母として教師として 』
私は今、学校へ向かっている。
4月1日に赴任したばかりである。ハンドルを握りながら、明日、明後日のことを考えていた。
明日は、3歳の息子の保育園の参観日。
朝2時間だけ年次休暇をもらって行ってこよう。
明後日は、小学校2年生の娘のPTA。午後から、娘の勉強ぶりだけ見てまた仕事に戻ろう。
いや待てよ。その後の学級懇談にも出席した方がいいかな。
思えば子供が生まれてから、私はいつも悩んでいた。
子供と仕事、どちらを優先すべきか。てんびんにかけ、比べていた。どちらが重いか。
研究会と娘の親子遠足。
これは完全に研究会の方が重い。
娘にはかわいそうだが、おばあちゃんと行くことを納得してもらい、
当日は大好きなサンドイッチを作って送り出す。
テスト前の3年生の授業と息子の風邪。これはちょっと判定が難しい。
てんびんがぐらぐら揺れている。
悩んだ末、授業を半分やってから、息子を病院に連れていくことにする。
ああ、これじゃあ、どちらも中途半端だ。母にも教師にもなりきれない。
文化祭を間近に控えた昨年秋のある日、
娘が高熱を出して入院した。肺炎だった。
私は生徒会担当で舞台発表の企画運営を任されており、
合唱コンクールの指導もしなければならなかったので、休むわけにいかなかった。
夜は病院に泊まり、朝、まだ熱が下がらず苦しそうにしている娘を義母に頼んで、
時間通りに出勤した。なんて薄情な母だろう。
しかし、「お母さん、そばにいて」と娘に泣かれた日には、まいってしまった。
ついに生徒達にこう言った。
「これから病院へ行かせてもらう。私は教師であると同時に、2人の子供の母でもある。
時には母としての役目もしっかり果たさなければならない。
あなた方のお母さんも、こんな気持ちで頑張ってきたに違いない。」
娘は、文化祭の前日に退院した。
そのことを学活の時間に話したら、思いがけず大きな拍手がわき起こった。
娘の退院を、まるで自分のことのように喜んでくれた。
生徒達は母である私を応援してくれていたのである。
文化祭は、合唱では優秀賞・新聞では金賞、さらに生徒会執行部からの予期せぬ花束
というおまけ付きで、感動の渦の中、幕を閉じた。
あれこれ考えているうちに校舎が見えてきた。
今度の学校は、全校で11人という小さな学校である。
子供と仕事、両立できないと悩む日もあるが、母の立場で接すると生徒の本音が聞けるときもある。
母親の気持ちを伝えることもできる。
私は2人の子供の母として、そして、この純朴な11人の生徒の教師として
また母としてともに歩み続けたい。