さゆりの学生時代

やめようか・・・。

 さゆりは大学入学と同時に、合唱団に入団した。高校時代は女声合唱であったが、今度は混声である。
 各学部の合唱好きが集まった総勢80名くらいの大きな集団であった。関東出身者が多く、東北出身で内気な彼女は、なかなか友達もできず
 団にとけ込めないでいた。
 しかも、ほとんどの人が音楽に通じていて、専門用語を日常的に話していた。
 何だ?この人種は?またも悩むのであった。ついていけない・・・・。

Hさん

 彼女は決意した。「やめよう!」 その時、引き止めてくれたのが、Hさんだった。Hさんは、一つ上の先輩で、理学部の人だった。
 一人ポツンとしている彼女に優しく声をかけてくれた。
 「専門的なことはわからなくていい。声を合わせることって最高だ。一緒にがんばろうよ。」
 彼女は決意した。「やめるのをやめよう!」

ピアノ室

 二年と三年の時、彼女はアルトのパートリーダーになっていた。毎日ピアノ室に行き、パート練習を納得するまでやった。
 音取りがうまくできない後輩のために、授業の合間を縫って、一緒に練習をした。

ソロ

 そんなある日、アルトの彼女にソプラノのソロをやるチャンスが巡ってきた。
 「ソロ・・・独唱」内気だけど目立ちたい。そんな彼女は思った。「めったにないチャンスだ。よーし、やるぞ!」
 その日から、特訓が始まった。
 しかし、ソプラノだけあってずいぶん高い音が要求される。一番高い音で「上のラ」だった。
 一人で練習する時は出せても、団全体での練習の時はどうしても、この「ラ」がうまく出せない。
 あぁー、団のみんなに迷惑をかける。この時、落ち込む彼女をそばで励ましてくれたのがHさんだった。

本番

 いよいよ東京定期演奏会当日。それまでの成功率は10%未満だった彼女のソロ。
 なんと本番でうまくいった。なんとかクリアできたのだ。
 ありがとうHさん、あなたのおかげです。
東京定期演奏会にて 演奏会プログラム

失恋

 彼女は次第にHさんに惹かれていった。

 夏休みに秋田に帰る彼女に代わって、ミニトマトの鉢を3つ預かり、育ててくれた彼。おかげで、真っ赤な実をつけたのだけれど・・・。
 Hさんが好きなのはJ子先輩だった。あぁー、そうだったのかぁー・・・。

最後の演奏会

   彼女が4年の1月、東京での最後の演奏会が行われた。いろいろあったけど、4年間続けた合唱がこれで終わり。
 しかも、彼女は家の事情により、演奏会を終えて間もなく、卒業式を待たずに故郷へ帰らなければならなかった。
 やっぱり泣いた。ステージで泣きながら最後の曲を歌った。

上野発の夜行列車

 2月上旬のある日、彼女は上野発の夜行列車に乗ろうとしていた。ホームには、合唱団の仲間が大勢見送りに来てくれた。
 そして、ホームで歌ってくれた。「大学歌」と「合唱団愛唱歌」を。
 「私は帰ります。みなさん、本当にありがとう。」
 見送りの人たち全員と握手をした。最後に握手をしたHさんの手が温かかった。

母へ

 母さん、いつも電話や手紙で励ましてくれてありがとう。家からの荷物の中には、必ず畑でとれたお芋や豆が入っていたね。
 畑や田んぼで真っ黒になって働いていた母さん。そんな母さんが、まさか入院することになるなんて・・・。