さゆりの中学時代

えっ!バスケットボールだって?
さゆりの中学時代は、芸能活動とはほど遠いものであった。なんと彼女は3年間、あの激しいバスケットボールをやっていたのだ。
練習日は1日も休まず、12月30日の吹雪の日も、8月13日の暑い日も・・・。(練習が休みになるのは、大晦日と元日だけだった。)
青春ドラマそのもの
K中のバスケは強かった。全県大会に連続9回出場していた。それだけに、練習ははんぱじゃない。
少しでも声が小さいと「ならべ!」とどなられ、『ダッシュ』がはじまり、倒れるまで走らせられる。
シュートを失敗すると、バシッ!竹刀でももをたたかれる。
練習の最後にやる『ノック』は地獄を見る。倒れたところへボールがとんでくるのだから・・・。
彼女がなぜ?
なぜ、こんなものすごい部に彼女は入ってしまったのだろう?彼女は、はっきり言ってバスケットには向いていなかった。
- 背が低い
- 足が遅い
- 運動神経が鈍い
上のすべてを満たしていた彼女がなぜ?
補欠・・・。
3年の部員は全部で11人いた。そのうち5人はレギュラー。当然のように彼女はベンチをあたためることとなった。つまり、「補欠」
なかなか試合に出るチャンスがない。人一倍負けず嫌いな彼女は考えた。
「みんなと同じ練習をしていてはいけない。」そこで彼女はみんながしない2つのことを試みた。
- 朝、誰よりも早く学校へ行って、学校の回りを走った。持久力をつけるためだ。
- 朝、誰よりも早く体育館へ行って、シュート練習をした。
背の低い彼女は、ロングシュートにかけてみようと思った。
いくら努力しても・・・。
練習の成果が徐々に現れた。監督は「よしっ!いいぞ。うまくなった。」といってくれた。
友達も「シュートよく入るネ。背がもう少し高ければレギュラーになれるかも。」といってくれた。
ところが・・・、こんなに努力してもダメだった。戦力にならないのだった。つかってもらえなかった。
彼女が試合に出るのは、大差をつけて勝っているときの、残り2分だけだった。あぁ・・・。
最後の試合
そして、ついに最後の試合がやってきた。K中女子バスケは、優勝候補と言われるくらいのチームになっていた。
全県大会。場所は、市立体育館。
1回戦を突破し、2回戦、これまた優勝候補のS中との対戦であった。
激しいシーソーゲームの末、39対30で負けた。……最後の試合も彼女の出番はなかった。……
監督のことば
試合終了後、反省会を行った。11人が1人ずつ監督に挨拶にいった。
彼女の番になった。
監 督:「まず、こごさ すわれ。3年間、本当によぐがんばったなぁ。
一番がんばったのは、おまえだ。今まで、あんまり試合に出してやれねして、悪がったなぁ。おれどご、許してけれ。」
涙があふれてきて、止まらなかった。
監督は、見ていてくれていた。朝、暗いうちから走っていた彼女を。誰もいない体育館でシュート練習していた彼女を。
たとえ、試合に出られなくても、彼女はもうそれだけで十分だった。
H先生、ありがとうございました。
母へ
夜8時過ぎに帰ると、あったかいご飯を準備して待っていてくれた母さん。
いつも泣いている私を励ましてくれた母さん。ありがとう。
出番のない私の応援に来るのは、つらかったでしょうね。