さゆりの入院中

〜 入院中のお話です。 〜

2004年 3月14日(日)

10:00 A市S病院、6階 B病棟 638号室に入院。

      病衣に着替えたら、急に病人になった。
      手術の説明などの話を聞いた後、病棟内を巡ってみた。
      設備の整っている大きな病院だ。
      ふと、気がついた。設備を見ながらとはいえ、随分ゆっくり歩いている自分に。
      学校の廊下を歩くスピードとは、かなり違う。もう立派な病人だ。

      いよいよ明日は、手術。しかも、全身麻酔。
      こんなこと初めてだ。どういう展開になるのだろうか・・・。
      ものすごく心配だ。

21:00 睡眠薬と胃の薬を渡され、飲んだ。

21:30 就寝。

2004年 3月15日(月)

 2:30 目が覚めた。驚くことに、私の体は5時間寝ると自動的に目が覚めるようになっている。
      手術前なんだから、しっかり寝ておかなければ、と思ったが、ずっと朝まで眠れなかった。
      「よく眠れましたか?」という看護師さんの問いに「ハイ」と応えておいた。
      今日は一日中、絶食。

 9:00 点滴(手術前用のものを右腕に。)左腕に痛みを和らげるテープを貼る。
      (左腕に手術中の点滴の針が刺さるらしい。この針が太くて痛いらしい。)

10:00 耳鼻科外来で診察。いつも表情を変えないM先生。この先生が執刀医だ。
      「よろしくお願いします。」と言ったら、「ハイ」と言って私の右肩を軽くトントンとたたいた。

11:30 薬投与。

13:00 ベッドに寝たまま、病室を出て、手術室のある3階へ。
      ここで、付き添っていた夫と姉と別れる。「じゃ、」「がんばれよ!」 ドラマで見たシーンだ。

      カーテンがひかれ、2人の看護師さんに着替えさせられた。
      すぐ横のガラスの壁がガァーと開いた。別の2人の手術着を着た看護師さんに名前を聞かれた。
      ベッドから別のストレッチャーに移った。2人と2人が引継ぎをしていた。

      私を乗せたストレッチャーは、随分奥まった手術室へと入っていった。
      広くて、機器類がたくさんあり、スタッフがあわただしく動いていた。
      ストレッチャーは手術台に横付けされ、いよいよ手術台に移された。まな板の上の鯉の気分・・・。

      また名前を聞かれた。さっきも言ったし、名前の腕輪もしているのに。
      手術用のライトをついに見た。ライトがいっぱいついていて、円盤形になっているのが2つ見えた。ドラマと同じだ。

      スタッフの声が聞こえる。
      「血圧計をつけますよ。」「テープはがします。」「これから眠くなる点滴しますよ。」
      「口にマスクをあてがいます。」「だんだん眠くなりますからね。」
      「眠くなりましたか?」

      私は、こう応えた。「眠くありません。」だって、聞かれた時は、眠くなかったのだ。
      でも、言い終えた瞬間に、私の中のスイッチが切れた。

      ところが、私はすぐに目が覚めた。手術室にいた。なんだ、まだ手術をしていないのか・・・。
      頭の上の方から声が聞こえた。「汗かいてるな。」「汗かいているから、よくふいて、テープでしっかり固定して。」
      なんと、手術は終わっていた。すでに2時間が経過していたのだ。

      吐き気がした。手術室で吐いた。逆のルートで病室へ向かった。
      ストレッチャーのスピードが速くて、気持ち悪くてまた吐きそうになった。

15:30 病室へ戻る。
      首が固定されているため、身動きできない。左側には、点滴の薬びんが2つぶら下がっている。
      口には酸素マスク。この光景は、重病人そのものだ。

      夫と姉と娘の姿を確認できた。意識はしっかりある。話そうとしたが、のどが痛くて思うように話せなかった。

      夜、姉が病室に泊まってくれた。結局、この日の夜は、身動きできない苦痛、
      ずっとあおむけで寝ていることからくる腰痛で、一睡もできなかった。

2004年 3月16日(火)

      朝になって、やっと起きあがってトイレに行った。フラフラする。点滴は昨日からずっと続いている。
      のどが痛い。痰がからむ。手術中に気管内に管を入れた影響だという。外来まで姉に付き添ってもらって、
      傷口の処置を受けに行った。

      「手術はうまくいった。」「腫瘍はきれいにとれた。」「経過は良好である。」とのこと。
      切り取った腫瘍を夫と姉に見せてくれたそうだ。「梅干しのようだった。」と夫は表現していた。

2004年 3月17日(水)

      外来で処置。傷口の管を抜く。(糸ではない。管だ。 え?管がついていたの?)
      のどが痛かったので、吸入することになった。
      少し、体が熱っぽい。傷口が時々チクチク痛む。首の筋肉痛もある。固定用テープによるかゆみもある。
      からだのあちこちに影響するものだ。

2004年 3月18日(木)

      娘の17回目の誕生日。私の入院前に誕生日のパーティーをやっておいてよかった。
      耳鼻科の外来で傷口の処置。順調に回復しているとのこと。

      前から気になっていた乳腺外科も受診できた。右胸が少し痛くて心配していたが、
      診察の結果、異常なしだった。よかったぁ。
      明日は、形成外科も受診する。こうなったら、心配なところを全部診てもらおうと思う。
      点滴は手術後、ずっと続いていたが、今日で終わり。その代わり、飲み薬をドッサリもらった。

2004年 3月19日(金)

      耳鼻科の外来で傷口の処置。今までガチッと固定していたが、小さいテープで傷口をふさぐだけとなった。
      午後から、形成外科を受診した。左腕の種痘あとにできた出物を診てもらった。
      体質的なもので、悪いものではないらしい。よかったぁ。
      時々痛がゆいので、薬品のついたテープを貼ってみることにした。

      今日はなんと、異動の内示の日だった。
      午後4時30分、M中へ電話した。(そういえば、去年も電話で内示を聞いた。長野で。)
      異動は・・・、なかった。いいのだ、これで・・・。

2004年 3月20日(土)

      外来ではなく病棟で傷口の処置。
      午前中、息子が初めてお見舞いに来る。お父さんと一緒に。
      なんだか照れくさそうにしている。本当は会いたかったくせに。ものすごく会いたかったのは私だけど。

      午後、入浴の許可が出た。傷口を濡らさないように気をつけて入った。

      親戚の他に、友人、同僚もお見舞いに来てくれた。

2004年 3月21日(日)

      入院して1週間。時は確実に過ぎ去るものだ。
      今日の昼食はパンだった。そういえば、1週間前の入院最初の食事もパンだった。
      「日曜日のお昼は、パンなんですよ。」と看護師さんが言っていたのを思い出した。

      耳鼻科のM先生が、病棟で傷口の処置をしてくれた。
      明日、抜糸。経過がよければ、明後日、退院できるとのこと。

2004年 3月22日(月)

      耳鼻科外来受診。抜糸する。チクッと痛かった。
      明日、退院できることになった。予定よりかなり早い。
      鼻の調子が悪かったので、レントゲンを撮ったら、蓄膿症であることが判明。
      こちらの治療も必要だとのこと。もう、こうなったら悪いところを徹底的に治したい。

      今日も、お見舞いに来てくれた人が多数。私のために、仕事を休んでまで・・・。ありがたい。

2004年 3月23日(火)

      午前9時、外来受診。  午前11時、退院。
      2週間の入院と言われていたが、10日間で済んだ。
      退院後は、しばらく自宅療養するように言われた。
      そのまま、実家へ・・・・。